2016年11月19日土曜日

"Electropicalismo(2013)" MCビル風解説(2800字)

hikaru yamada and the librariansのライブ盤 "Electropicalismo" に封入されていたライナーノーツ、MCビル風による解説(2800字)を再掲します。



hikaru yamada and the librarians
“ElecTropicalismo - Live at Mona-Records”解説

この度あなたのミュージック・ライブラリに加わることになったのは、hikaru yamada and the librariansのライブ盤“ElecTropicalismo -Live at the Mona-Records”です。
『あなたの心の中のライブラリを開放する!もしくはあなたのライブラリの中の心を開放する!』というパンチラインでもお馴染みのhikaru yamada and the librariansですが、あなたのライブラリはどこにありますか。
PCのハードディスクの中ですか。CD、レコードラックの中ですか。もちろん音楽に限りません。本棚。デスクの周り。自分の部屋。それとも、何年も書き続けている日記でしょうか。あるいは、心の中ですか。
蓄積された作品は、資料は、記録は、記憶は、タグをつけ、一定の法則に従って、陳列、保管されなければならない。でないと、後で必要な時にすぐに参照できないし、いずれ時の流れと共に霧散し、全てが無かった事になってしまうでしょう。

hikaru yamada and the librariansの中心人物であり、サックス奏者、ギター奏者、コンポーザー、プロデューサーである山田光のTwitterのアカウント(@yakamotilabely)のプロフィール欄には、「歴史家・アルトサックス奏者」との記載があるが(2013年12月現在)、この「歴史家」というのが山田光と彼の作る音楽についてひも解く上での、一つのキーワードである。「人柄だけじゃミュージックじゃなくて/ 人柄だけじゃミュージックって思わない」とs.l.a.c.k.もラップしているが、ポップミュージックを語る上では、音楽そのものだけでもそれはミュージックではない。山田光とはどのような男なのか。

山田光はアーカイバーである。自他問わず、様々なライブの場においてレコーダーを回し、その時に繰り広げられた演奏を記録する。その録音はインターネット上にアップロードするなど、何らかの形で世に出るか、もしくは山田光のハードディスク内のライブラリにおいて、丁寧に保管され、たまに取り出しては一人聴いて楽しんだり、またごく仲間内のみで聴かせて、一晩のある演奏がその一瞬だけで消えて無くなってしまうのを阻止し、記録として残し、それを人と共有しようとする。そして、それをする対象は、有名無名を問わず、また内容の優劣も問わず、等しくアーカイブされるべきものとして扱われるのである。
記録は歴史とは違い、時の流れにおける瞬間の点でしかなく、それを歴史にするためには、点と点を繋ぐ物語と、その語り部がいなければならない。そして、その作業をして歴史を語るには、それ相応の知識と知性、流れを俯瞰する視点、抑揚の利いた品性、そういったものが必要だ。でも、記録は取扱い注意。記録は記録でしかないので。ちょっとでも扱いを間違うと、途端に陳腐で品のないものになってしまう。

hikaru yamada and the librariansは、数々のクラッシック(歴史的記録)からサンプリングし、それを知性と品性と悪意とユーモアをもって配列し、全く新しい曲を生み出す。数々のクラッシックというのはつまり、歴史の中で十分に、数々の物語として語られてきたものであり、山田光がlibrariansで行っていることは、それぞれのクラッシックたちを文脈から切り離し、きれいにパッケージングして、それをまたきれいに書架へと収めることである。
ここで強調しておきたいのは、クラッシックを文脈から切り離した上で、きちんとライブラリに戻している、という点で、ただ文脈から切り離すだけなら、無差別に参照、サンプリングすれば誰だってできる。しかし、サンプリングの様な手軽に誰でもできる手法ほど、知識やセンスが問われるのであって、歴史を知らなきゃきれいにバラすことはできない。同じ本が沢山並べてあるのでも、ブックオフと図書館じゃ全然違うだろう。

サンプリングという手法ひとつ取っても、DJはライブラリを参照して次々と文脈を生み出していくのに対し、山田光はそれを別のパッケージにまとめ、書架にしまっていく。ライブラリを新たに作っているのだ。
librariansの曲は、表面が滑らかで冷たく、手に取るとずっしりと重い、革装丁の書物のようだ。隣同士に並んでいる本は、お互いに切り離されていて、物理的に関係がない。その中の情報を結び付けるのは、能動的な読み手によってである。山田光は、物理的に関係がないものたちをきちんと装丁し、書架にてきれいに管理するライブラリアンである。混沌とは対極にある、全てが知性と理性と品性によってコントロールされた表現をする人物である。
あるべき物事が、きちんと収まるべき場所に収まっている。均整のとれた美しさ、荘厳さ、蓄積された知識への畏怖、そういったものが図書館からは感じられる。特に大学の図書館とか。hikaru yamada and the librariansの音楽を聴いて思い浮かぶのは、そういった冷たく静かな風景である。

そして、そういった秩序をつまんねえくだらねえ、飽きちゃった、という気持ちで、切り裂くような、視界のパッと開けるような、ひりついたサックスソロやギターソロをいきなり突っ込んでくるのが彼のチャーミングな所なのだけど、それはまた別の話。

山田光は図書館に置いてあるCDディガーとして有名で、どこそこの図書館は品揃えが良いとか、そういうのに詳しい。
クールな佇まいのボーカリスト、穴迫楓は食べた分だけ外見に出る体質?チャーミングな女性だが、ソロを取る山田光を見つめる目はどことなく冷たい。バンドメンバー同士なのにお互い関係ないということをちゃんと分かっていて素晴らしい。
ドラマーの白石美徳は、難しい他二人のメンバーの空気を和ます、何てフシギなチカラ(Black Biscuits)を持っているように見受けられる。朴訥として飄々とした雰囲気と人柄、刈り上げた髪型とよくマッチする太いフレームの眼鏡など、まさにlibrariansを支える屋台骨といった感じだ。
また、このライブ盤には、ゲストボーカリストに入江陽、ゲストプレイヤーに松本崇史を迎え、それぞれ素晴らしい演奏を聴かせてくれる。

この盤に収録されたライブは、以下の内容で行われた。

2013/10/18(Fri)@下北沢モナレコード
【出演】hikaru yamada and the librarians / 丸い月の下/ あくビリー/ Toomey
【料金】前売り¥2,000 / 当日¥2,300
hikaru yamada and
the librarians are: 山田光(sax, laptop, vocal) 穴迫楓(vocal) 白石美徳(drums)
ゲスト入江陽(vocal) 松本崇史(sax)

 個人的には、とことん冷たくも狂おしいほどに美しい、ラバーズロック・ナンバーの”Two Months Is a Unit”が特に気に入っている。


もしこのライブ盤を聴いて初めてhikaru yamada and the librariansの音楽に触れたという人は、是非彼らの1st albumである“The Rough Guide To Samplin’Pop”も手に取ってほしい。そして大いに、山田光というライブラリアン率いるhikaru yamada and the librariansという書物、記録を、手に取って聴いてくれたあなたが語り部となって、物語を紡いでいってほしい。
という大袈裟なことでなくてもいいから、そもそも彼らの音楽は非常に完成度の高い洗練されたポップスなので、日常的に聴いて楽しんで、その感想を人に言ったりブログやSNSで書いたりしてくれたら素晴らしいと思う。その断片は記録として残り、そして誰かが語り部となってその記録を結んでいき、いずれ歴史となるだろう。ライブラリアンというのはどうしても裏方っぽくなりがちなので、そんな人たちを語る歴史が残らないのは、大変な落ち度だと思うのだ。是非よろしくお願いします。

2013年12月某日MCビル風(ラッパー・28歳)_________________________

0 件のコメント:

コメントを投稿